諸君らは、なぜ今でも学ぶのか?自らの時間を割いてまで、楽しいとは思えないであろうことをしているのか?これに「どこにでもいるような優秀な人間になるため」という答えで納得できる場合は、この先は読まない方が良い。どうか本編に戻って欲しい。
準備はよろしいか。
差別化
諸君らが学ぶ理由は、他者よりも、より高みに近づくためではないだろうか。
そこに到達するための最も簡単な方法を、その技術を一言で言えば、それは差別化である。
差別化は時として「非常識」と非難されることがある。否定されることも少なくない。
突然だがこの箇条書きを一読していただきたい。
・世の常識は単に多数派というだけ。
・多数派というだけで、さもそれは正しいことであるかのように取扱いがなされる。
・多数派が正解、正しいとは限らないのは明らか。
・むしろ過去の事例を見れば、少数派こそが抜き出ていることに気づく。
・多数派という勢力が差別化の実現を困難にしている。
非常識
・重要なのは非常識には常識が前提として存在していること。
・非常識な人間でも、世で認められる者は常識を知っているということを無視することは出来ない。
ここに2名の人間がいたとする。
2は非常識だが常識も知らない人。
Q,2のように非常識な人間が「常識を知らない」とどうなるのか?
【答え】残念なことにそれは社会不適合者として取り扱われることになってしまうだろう。
Q,冒頭のどこにでもいる優秀な者はかけがえのない者か?
【答え】かけがえというフィルターで言えば、いつでもその変わりの者は存在するから、特別でもなければ大切でもない。
常識にとらわれず、多数派を理解する非常識な者
これがオンリーワン、オリジナルの優秀な者であり、それはかけがえのない者ということができる。
そして、この「書く技術・考える技術」は教科書と言う位置づけである。つまり、常識である。
だからこそ、より高みに近づくための常識として、一応の理解はして頂きたいと思う。