できないことはできないけれど、できることまでできなくなるのはもったいない。
■「できる」と思うこと、「できない」と思うこと
精神論で、何でもできると叫べばよいわけではありません。けれども、たとえば走り高跳びの選手は、走り出す前にイメージを作ります。ほんの少しバーが高くなるだけで、選手には大きなプレッシャーになるのですが、「跳べる」というイメージを作り上げて走り出します。
そんなイメージを作っても作らなくても同じなら、時間をかけてイメージを作り上げることは、無駄なことでしょう。でも、無駄ではないから、イメージを作ることがジャンプの成功につながることを知っているから、選手は時間をかけて跳ぶための心の準備をするのです。
■「どうせ無理」の心理
「どうせ無理だよ」。人はそんなことを思い、口にも出します。これは、どんな心理でしょう。まず、夢や希望を失っています。目標がたかすぎるのだと感じています。あるいは、自分は価値がないダメ人間だと思い込んでいます。努力は無駄だと言う思いが、「どうせ無理」というイメージと言葉を作り出すのでしょう。そして「どうせ無理」は、できなかったときに傷つかないですむための心の予防線です。
「どうせ無理」と思い込めば、やる気を失います。努力する意味を失います。どうせ試験に受かりっこないと思えば、勉強をしません。自分はだめな人間だと毎日思っていると、そのネガティブな感情に心が支配されます。
勉強する意欲を失い、食欲や適度な運動など健康的な生活を失い、合格のために情報収集や援助要請もできなくなります。そうなれば、当然不合格です。そうすると、やっぱり自分には無理だったと考え、「どうせ無理」という考えが正しかったとさらに強く思うでしょう。
自分はどうせ嫌われると思い込めば、積極的に相手に近づきません。相手から話しかけられても、笑顔で応対できません。これでは、親しい関係になることは難しいでしょう。その結果、やっぱり自分はだめだった、どうせ無理だったんだ、とまた思い込むでしょう。
■突然の不安
私は、小中高と演劇部だったのですが、中学校の演劇部の時にこんなことがありました。
芝居の中で、私の役は密室に閉じ込められている役です。その部屋の上には窓があって、私はSOSを書いた紙をまるめて、窓に向って投げるシーンがありました。
練習で、何度も投げましたが、全部成功しました。丸められた紙は、窓の外に飛んでいきます。それほど難しい作業ではありません。ところが、一番大切な本番のとき。丸めた紙を投げようとしたその瞬間、「入らないかもしれない」という思いが一瞬心をよぎりました。
結果は失敗。紙は窓枠に当たって落ちてしまいました。それでも当時の私は多少の舞台度胸はあったようで、落ちた紙を拾い、もう一度投げなおして芝居は止まることなく進みましたが。
しかし、練習ではいつも成功していたのに。上手く入らないかもしれないなんて、考えたこともなかったのに。ほんの一瞬、その不安に襲われたわけです。そんなことを考えてしまえば、不安と緊張で手はすくみ、いつもの行動がとれなくなったのでしょう。
「できない」「できないかもしれない」。そんな思いになると、頭も心も体も、思うように動かなくなるのです。その結果が、失敗です。
■予言の自己成就
話したことが実際にその通りになってしまうのが、予言の自己成就です。これは、社会でも個人の心や行動にも起こります。
たとえば、ある信用金庫が危ないと誰かが語る。語った内容が広がっていき、みんなが危ないと語り始める。そうすると、うわさはさらにひろがり、預金を下ろす人が殺到し、その様子を見た人がさらに不安にかられる。
こんなことが起きれば、実際に危機的状況に陥ります。これは、以前豊川信用金庫で実際にあった話です。
禁煙に関する研究では、「自分はどうせ禁煙に失敗するだろう」と語っているひとは実際に失敗するという研究があります。自分は、こういう場面でこういうふうにタバコをすってしまうだろうと語った人は、実際にそのとおりになりました。まさに、予言の自己成就です。
非行少年に関する研究では、子ども時代に「どうせ将来おれは警察のお世話になるような人間だよ」と話していた子は実際にそうなりやすいことも確かめられています。
悪いことだけではなく、良いことにも予言の自己成就は起きます。それは、個人の心の中だけでも起きますし、人間関係の中にも起きます。
禁煙にせよ、毎朝のジョギングにせよ、ちょっとそう思うだけではなく、強く思う、その文字を書くなどによって、実際の行動が生まれやすくなります。
さらに、みんなの前で宣言したり、紙に書いて張ったりすれば、なおさら行動は続きやすくなるでしょう。特に、自分にとって大切な人に伝えるのは効果的です。
みんなに見えるように禁煙と書いてあるその紙の前でタバコをすうのは、なかなかできないでしょう。恋人に「ボクは禁煙する」と宣言しておいて、次のデートの時にタバコをすうのは、かっこ悪いでしょう。
言葉にする、文字に書く行為は、自分で自分の行動をコントロールすることにもつながります。言葉や文字によってイメージが作られることもあります。
ある人は、パーティーで酔ってしまいそうなとき、鏡の前で自分自身に言い聞かせます。「しっかりしろ、酔っ払ってどうする。しっかりして、きちんとみんなと会話するんだ」。そうすると、実際にしゃんとするそうです。
受験指導の一つの方法として、まだ試験まで1年もあるといに、合格体験記を書かせる方法があります。自由に書かせるのですが、ほとんどの生徒は、「途中で辛いことや失敗することもあったけど、でもあきらめないでがんばって無事合格しました」といったことを書きます。
そうすると、この架空の合格体験記のとおりのことが起きたりするのです。予言の自己成就です。このような現象を私達は昔から知っていたので、「言霊」(ことだま)とか、「縁起でもないことは言うな」という考えが生まれたのでしょう。
■ピグマリオン
教育心理学の研究です。ある学校のクラスで心理テストを行い、何人かの子に関して「この子は伸びる」という情報を教師に与えます。実はこの心理テストはインチキで、ランダムに選んだ子に関して嘘の情報として「伸びる」と伝えられました。
ところが、そのあとの追跡調査によれば、「伸びる」と言われた子は実際に伸びていました。これを、ピグマリオン効果といいます。
ピグマリオンとはギリシャ神話に登場する彫刻家で、美しい彫刻に恋をした結果、彫刻が人間になるという話です。ここから、ミュージカル「マイフェアレディー」の原作戯曲「ピグマリオン」が書かれました。この物語では、下品な娘をレディーにする話が描かれています。
学校における研究では、先生がえこひいいきした訳ではありませんでした。ただ綿密に調べると、教師は無意識のうちに、伸びると信じた子どもに他の子よりも視線を送っていました。その子に話すときは前かがみになり、その子に質問するときは、回答をじっくり待ちました。このような小さなことの積み重ねが、子どもの能力を伸ばすことにつながったのでしょう。
信じることで魔法が起きるわけではありませんが、期待が行動を生み、行動の積み重ねが成果を生むのでしょう。
もしもこの子はダメだと感じたらどうでしょう。目はあわせず、発言のチャンスも減るでしょう。質問をして少し沈黙すれば、すぐ次の子に質問することになるでしょう。こうなってしまうば、伸びるはずの子ものびません。
ミュージカルの中では、女性をレディーにしたければ、レディーになれることを信じてレディーとして扱えと語られています。
■信じる力
信じたからと言って何でもできるわけではありません。けれども、信じなければできることもできなくなります。「どうせ」は、努力を放棄する言葉でしょう。
本当に、自分や他の誰かが伸びるのかどうか、できるのかどうか、その答えは努力しチャレンジして見なければわかりません。しかし、私達はしばしば試してみる前にあきらめます。「どうせ無理」と言っておくことで、努力する大変さから逃れ、失敗したときのダメージを小さくしようとします。でも、どのためにせっかくのチャンスを失うこともあるでしょう。
できないことはできないけれど、できることはできるようになりたいと思います。そのために必用なことは、「どうせ無理」を乗り越えて、「きっとできる」と信じる力を発揮することなのです。