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B-2健康を心理学的に説明してみると?(改)

ここでの愛とは色恋の愛に限ったことではない。
ここでの働く・仕事とは労働に限ったことではない。
もちろん、其々を含みさえもしますが、その意味は広義に捉える必要があります。

ページの目次だ。

健康とは

フロイトは、晩年に受けたインタビューの中で、「健康な人とはどういう人ですか?」と質問され次のように答えています。

「健康な人とは、愛することと働くことができる人です」。

これは、どういう意味でしょうか。

そして、どうすれば私たちは健康に幸せに生きていけるのでしょうか。フロイトの言葉を読み解きながら考えてみます。

愛することとは

愛することと働くことは、言葉を変えて言えば、誰かを必要とし、誰かに必要とされるとも言えます。

愛するとは、誰かに心を注ぐことです。愛とは、誰かのために心の痛みを感じます。愛する人の幸せを願います。愛する人のために、全力を注ぎます。ただし、もちろん心理学というだけあって「一般的には」という前提があることは常に忘れてはいけません。

片思いの辛さは、愛する人にサービスしてもらえない辛さはさほどではなく片思いの辛さは、こんなに愛しているのに、片思いでは何もできない辛さです。

愛する人の成長を願っています。誰かを愛し、成長を願える人は、自分に何があっても希望を失うことを諦めます。他の誰かのために頑張れる人は、いつまでも希望とやる気を失いません。これを否定できる人はいないでしょう。そして、これを言い換えると、他の誰かがいないとやる気は続かないいうことになります。

だからこそ、愛する対象を必要と言えます。すると、やりがいを見つけます。人のため、お客様のためにという思いで、自己犠牲的に全力を出せる人は、幸福な人々です。やる気や希望を、自然と持つことができます。

心の健康

心が健康を失うと、他者への関心を失います。自分自身の殻の中に閉じこもります。「ありがとう」や「ごめんなさい」も言えません。

ますます人間関係が悪くなり、不健康の悪循環に入っていくでしょう。いわゆる負のスパイラルです。

働くこと

働くことは、単に体を動かすことではありません。給料が出るかどうかは別として、誰かの役に立つことも働くことと言えます。

つまり、働くことができるとは、誰かに必要とされることです。

人は、誰かに必要とされたがります。自分なんかいなくてもいいと感じてしまうのは、本当は辛いことでしょう。

もっとより良く生きるためには、健康的に生きていくために、誰かの役に立ちたいと願います。ならば誰かに必要とされたいという考えも出てくることでしょう。

この文章を誰も読んでくれなくても、趣味で原稿を書くことはできます。でもそれは、仕事にはなりません。誰一人通らない道の石ころを趣味で片付けることはあっても、それは仕事にはなりません。

趣味は趣味で楽しいのですが、人はそれだけでは100%満たされません。心の奥底で誰かの役に立ちたいと願います。誰か一人でかまわないのです。

人は誰かに必要とされたい、お仕事がしたいと願っています。

愛すること・働くこと

お金は大切です。給料が出ないで会社で働くことはないでしょう。それでも人はお金のためだけに働くわけでもありません。

お金は、世の中が認めてくれていることの象徴ですから、お金自体が悪いわけではありません。けれども、お金の奴隷になっては健康になれません。

愛するこ・
働くこと
誰かを必要とすること
誰かに必要とされること

可能な限りこれを行動の動機にできると、私たちはとても健康的に生きられるのです。

あてはめる

実際、自らに当てはめて考える時は、愛や仕事という言葉は柔軟に捉える事で誰でもあてはめることができるでしょう。

逆に、

誰かを必要とすること
誰かに必要とされること

ここからあてはめても構わないでしょう。

なるほど、確かに。少なくとも今、誰かを必要としている。これは、愛があるといえる事になる。確かに、それは幸せなのだろう。その逆もしかりだから、誰も必要としない事は、幸せでない、と感じる。

誰かに必要とされている可能性のほど、そう思える時間はとても幸せだ。その逆もしかりだから、誰にも必要とされたくないとは言いにくい。

そして、今、説明は必要ないくらい健康的だ。体が健康であり、心も健康という真の健康は、書く技術と同じように学ばなければ手に入らない。

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